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 汁の製法  (村瀬忠太郎 蕎麦通 昭和5年) 

 蕎麦に汁は車の両輪の如くで、蕎麦がうまくっても汁がまずければ、蕎麦の味に影響し、汁が良くっても蕎麦がまずければ、汁の価値は発揮されない。蕎麦には汁が身上である。

 甘味の勝った店もあれば、鹹味の勝った店もあって、一様ではないが、いずれにしても煮出汁(だしまたはつゆという)によって、うまいとまずいの評判の分かれる点から、蕎麦屋の主人はこの汁加減に非常の苦心を払うのである。

 蕎麦はまずい汁がよいとか、蕎麦は好いが汁が今一仕切りだとか、言ってそばの批評をなさる方は、主人も落胆するに多少の緩和を得て有り難く御叱言頂戴するが、この苦心を察しないで、折々見当違いの註文をされるには聞く方で片腹痛いことがある。御客様に対し弁解する勇気も抜けて、ただはいはいと御受けしているのは随分と楽でない。

 一般の蕎麦屋で造る汁の製法は、『一番だし』と『返し』との二種に分かち、これを適宜に調合してそれぞれの用途に充てる。

   
一、  鰹節を平均に削って、湯を煮たててその中へ入れる。湯が絶えず沸騰しているように火加減に注意する。途中で火が落ちれば汁の味もまた落ちる。一定の分量に煮詰めて裏漉しにかける(店によりては昆布を使う)。これを『一番出し』と称し、日々入用の分だけ製する。
二、  醤油に砂糖(三盆白を用う、ざらめ、花見の類はあくを引く)味醂を加え煮立てて容器に貯える。これを『本返し』と称し、一番出しと調合して煮立てて汁に用うる。これを『から汁』という。
三、  返しの一法『口味醂』というは、醤油と砂糖を煮立てたものに、一番だしを合わせた後、生味醂を加えてざっと煮立てる。
四、  『生返し』というは、砂糖だけを煮てこれに生醤油を加え、一番出しを合わせてよく煮立てる。これは多く駄蕎麦または饂飩屋にて使用する汁である。

 釜の銅壺の中へ陶製の瓶(たんぽ)を入れ、それにから汁を盛り、適度に温めればすこぶる好い味が出る。

 笊蕎麦、御膳の汁はこれに準じて最上等のものを用うる。

 一番出しを引いた殻でさらに清汁を製し、これを『二番出し』という。種物を煮るには、この二番出しを用い、から汁を煮る。

 昔の蕎麦がきはすべて薄葛の汁で出したが、今ではいささか鹹味の汁を用うることになった。

 胡麻汁は胡麻を炒ってすって、から汁を加える。
 芥子汁は芥子を炒ってすって、から汁を加える。
 胡桃汁は胡桃をすって、から汁を加える。

 汁は、甘くても鹹くても蕎麦に馴染まなくてはいけない。どこまでも蕎麦を本位にして、作りださねばならぬ。

 しかし一般には味が濃くって、鹹味の勝った方が喜ばれている。けれどもやっぱり東京に生まれた者には、あまり鹹味の勝った濃厚な汁は、どちらかというと喜ばれぬようである。

 下等な煮出に用いられるものに、めじ節、鯖節があり、それ以下には、うるめの干したのを使っているような、ひどい店もあるが、こんな煮出を使った汁に限って水ッぽく、食うのに先だってまず臭気のために閉口させられる。こんなのは、もりかけ五、六銭という、極めて安直な蕎麦屋で、場末のうちでも、時にはなはだしい場所でなければない。

 一時そばの汁に、蛇を煮出しに用いるという噂が、誠しやかに伝わったことがあった。どういう根拠から伝えられたものか解らぬが、それがために、気の弱い者は、蕎麦を食うのを見合わせるなぞの滑稽な話もあったくらいだが、無論その話は虚構に過ぎなかったから、いつか流説は忘れられたが、これがために蕎麦屋の迷惑は、大きなものであった。

 蛇が実際にそれほどうまいものなら、今まで盛んに食われていたに違いない。それを単にうまいという噂だけで、本当に味わった者が、山間僻地の人はともかくも、都会に住む者に少ないところを見ると、決してその肉は美味ではないと断定が出来る。

 元来食物には、美味でさえあれば形の醜悪には極めて無関心でむしろ勇敢な日本人だ。海鼠を食い、蟹を食い、蝦蛄の如きものを、好んで口にした民族が、蛇ぐらいに躊躇するはずはない。今までも盛んに料理されているべきだ。しかも容易に捕獲出来るものを、捨てておいたのだから、問題にされていなかったのが、何よりも有力な証拠であろう。

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