『蕎麦通』の著者村瀬忠太郎は、幕末の1859年に江戸の赤坂で、蕎麦屋を営む家庭に生まれました。明治、大正、昭和と時代がめまぐるしく変わる時代、世の中の蕎麦屋が機械打へと変っていく流れに逆らい、頑なに手打を貫いた人物です。『蕎麦通』は昭和5年に四六書院の『~通』シリーズの一冊として出版されました。

・原文は縦書きですが、ネット環境に合わせて横書きに改めました。
・わかりづらいと思われる語句には、勝手ながら註釈をつけさせていただきました。本文中の青字リンクを付けた語句をクリックされますと註釈がご覧いただけます。もともとの『蕎麦通』には、註釈はございませんで、これは私が勝手に付けたものです。見当違いもあるかと存じますが、何卒ご容赦のほどをお願い申し上げます。
・『蕎麦通』で使われております数字は全て漢数字ですが、読み難いと思われます箇所は、算用数字にあらためさせていただきました。

蕎麦通もくじ
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自序

 総説

 蕎麦の産地

 関東地方の概説

信州地方群馬地方栃木地方茨城地方埼玉地方神奈川地方山梨地方千葉地方深大寺蕎麦

 蕎麦粉の話

 蕎麦打の話

 手打と二八の格式

 機械と手打の相違

 木鉢、のし、包丁の三法

 蕎麦の製法に就いて 幸堂得知

 火加減と水加減

  古伝(貞徳)

十一 汁の製法

十二 薬味

十三 変り蕎麦のくさぐさ

蕎麦がき餡かけ穴子南ばん白魚南ばん野菜蕎麦紫紐コロッケー蕎麦シッポク太打ち—  山葵切磯切鯛切胡麻切海老切貝切柚子切草切木の芽切菊切いも切芥子切竹林一本うどん五色蕎麦大麦の麺

十四 通の食うものと万人向き

十五 うまい食い方とまずい食い方

十六 蕎麦の食い方を書いた小説 (漱石

十七 地方特殊の食い方

大根蕎麦茄子蕎麦胡麻汁蕎麦胡桃蕎麦蕎麦団子蕎麦柿鰯蕎麦秋刀魚蕎麦蕎麦もち蕎麦飯蕎麦豆腐

十八 栄養価

十九 値段の変遷

二十 符牒

二十一 看板

軒行燈看板

二十二 昔の器物

盛り道具かけ道具盛鉢定紋附きの通箱

二十三 江戸時代から著名な店

二十四 惜まれた名代の店

正直蕎麦麹町瓢箪屋深川洲崎の笊蕎麦入谷の松下亭

二十五 明治年間に廃絶した店

無極庵やぶそば冬木米一深川の薮そば—翁庵—まこと庵—正直—薪屋—明月庵—養老庵—瓢箪屋—狸そば等々

二十六 現代に永続せる店

永坂更科—連雀町の薮—濱町の薮—木原町東橋庵—神田の地久庵—新橋の長寿庵—松井町の白瀧—蓮玉庵萬盛庵蘭めん—奥山の萬盛庵—押上の蘭麺

二十七 けんどんの諸説

二十八 二八蕎麦

二十九 馬方蕎麦

三十 夜鷹蕎麦、風鈴蕎麦

三十一 一本うどん

三十二 口入宿と板前

三十三 出前持の今昔

三十四 信州甲州の蕎麦

寝覚蕎麦御嶽蕎麦蕎麦旅籠

三十五 関西方面の蕎麦

大手筋錦蕎麦田葉清のそば現在評判の店

三十六 伝説と迷信

観音の供物瓜姫の話たち蕎麦祝儀には用いぬ寒暑に堪う大入蕎麦引越蕎麦敷初蕎麦晦日蕎麦年越蕎麦婚礼にはうどん蕎麦の若芽蕎麦稲荷稲荷蕎麦疝気蕎麦

三十七 蕎麦禁断の碑

三十八 俳句、川柳、和歌、狂歌、盆踊歌

三十九 漢詩、文章

四十  蕎麦切頌 (雲鈴

四十一 蕎麦の讃 (蜀山人

四十二 名古屋春鹿楼が蕎麦の頌 (飯盛

四十三 昔の引札いろいろ

手打蕎麦「峰の白雪」(京伝)—別製生蕎麦蓮玉庵(玄魚)—上野広小路蕎麦飯(岡持)—蕎麦屋引札(飯盛)—手打蕎麦即席料理(三馬

四十四 演芸に現れた蕎麦

雪夕入谷畷道助六福山のかつぎ中村仲蔵とらんめん

四十五 民間療法と蕎麦

糖尿病腫物腎臓病毒無し忌む病西瓜との害悶死の説胃腸薬髭眉脱落の説朱明丸温麺と冷麺

湯川玄洋博士の食養説

四十六 蕎麦の説いろいろ

蕎麦の賦附真田汁東京の蕎麦と国の蕎麦シッポク日記の中より

四十七 蕎麦に関する雑話

一茶の悪戯蟲蕎麦寝覚の唱和桔梗屋お園御難場蕎麦女郎媗貪女郎

四十八 蕎麦の概念

補遺

蕎麦屋の貼り出し看板明治初年以降のもりかけ平均値段蕎麦粉、蕎麦切、うどん、干うどんの成分

 

 

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